牛乳のむべ
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牛乳と日本人

牛ライン

物事には何にでも歴史があります。牛乳の歴史も然り。牛乳を飲む習慣はいつ頃日本に伝わったのでしょうか。私たち日本人が常日頃から牛乳を飲むようになったのは? 牛乳が伝わったのはかなりの昔ですが、日本人が飲用とするには時間がかかったようです。


日本に牛乳が知られたのはいつ

そもそも人類が牛乳を飲むようになったのはいつの頃なのでしょうか。古代のメソポタミアの壁画には搾乳や乳を利用する様が描かれています。実に6000年前の壁画です。6000年前……気の遠くなるほど大昔ですね。日本に牛乳が伝わったのは朝鮮半島を経て6世紀頃に伝わったとされています。

薬だった飛鳥・平安時代

日本人が搾乳や牛乳について知ることになったきっかけは、百済からもたられた医学書や経典と共に日本にやってきた牛乳の薬効や乳牛の飼育方法が書かれた書物からでした。大化の改新の頃に皇室に牛乳が献上され、その豊富な栄養素から「牛乳は人の体をよくする薬」として喜ばれ、献上した者に「和薬使主(やまとくすしのおみ)」という、医者として牛乳を管理する者という意味の称号を与えたほどでした。日本で牛乳が飲まれるきっかけとなったのですが、庶民の口に入るようになるにはまだまだ先のことでした。薬用として大事にされた牛乳は、毎日2300mlもの量が皇室に納められました。酪農が広まると、「蘇」という牛乳を1/10に煮詰めたものが税として納められるようになり、貴族の間にも健康維持や病気の時の健康の回復に薬としてもてはやされました。平安時代も末期を迎える頃には「蘇」を税として納める制度もすたれていきます。

徳川吉宗と牛乳

江戸時代に入ると、八代将軍徳川吉宗は外国人獣医から牛乳やバターが馬の治療に良いとすすめられ、牛3頭をインドから輸入しました。千葉の牧場で飼育させ、これが現代の酪農へとつながっていきます。牛乳から作った蘇を将軍や大名の善に供え、滋養強壮剤としてたいそう珍重されたのです。江戸時代末期、外国人を見た前田留吉という人物が、外国人の大きな体は牛乳を飲んでいるからだと考え、牛の飼育と搾乳を手がけて販売するようになり、これが日本で初めての牛乳の販売となるのです。

文明開化と牛乳

皇室で毎日2回、牛乳が飲まれていると新聞で報道された明治4年。日本中にも牛乳の存在が広まり、牛乳を飲むことが広まっていきました。文明開化のまっただ中で、なにをするにも欧米の真似をしていた日本人、大名や旗本の屋敷跡で牛を飼って牛乳を売ることは、時代の流れとともに収入の無くなってしまった武士には恰好の事業となりました。牛乳屋を経営していたのは公爵や子爵で、大きな缶に牛乳を入れて牛乳配達員が各家庭を回って量り売りをしました。時代とともに、缶から瀬戸物びん、ガラスびんへと容器も変わっていきます。1869年には初めて日本人がアイスクリームを製造販売するなどして、牛乳はどんどん日本人の生活の中へと入ってくるのです。

牛乳容器の移り変わり

牛乳の容器を見ても歴史の移り変わりがわかります。現在では紙パックのものやお洒落な瓶のものがありますね。

ブリキ缶牛乳

ブリキ缶

量り売りの時代には大きなブリキの缶にいれられていました。明治時代になると180mlの小さなブリキ缶に入れられ、天秤棒で配達されていました。

瓶牛乳

ガラス瓶

瀬戸物の瓶の使用期間は短く、すぐにガラス瓶に入った牛乳が売られるようになります。決まった形もなく、様々な形の牛乳瓶があったようです。大正時代には瓶のふたが王冠栓になっているものが広まり、昭和に入って色のつかない透明の瓶に紙のキャップをすることで法律が整いました。180mlの時代が長く続きますが、学校給食の始まりをきっかけに1本の量は200mlへと変わっていきます。

紙パック牛乳

紙パック

昭和31年に初めての紙パック入り牛乳が発売されます。通称三角牛乳です。軽くて扱いが容易な紙パック牛乳は東京オリンピックにも採用され、瞬く間に普及していきます。そして現在あるブリック型のものや、1リットル入りの容器に使われているケーブルトップ型などが登場して現在に至っています。